ACROSS THE BIRTHDAY

作:小俣雅史

 

第二話

 

 夏の間は中央の噴水が清々しく、多くの木々に囲まれ緑が豊かなこの公園。そこにはいくつもの人が心の安らぎを求め、子供や老人などが毎日のように立ち寄っていく。そこは智也達の目的であったスケッチ、風景画を描くには丁度良い場所だった。

 しかし智也とみなもの当初の目的とは外れ、現在はプラス一人、若き天才画家・片桐まりえも含めた三人でのスケッチだった。

「…………」

「…………」

 最初は憧れの画家の隣で絵を描くことに緊張を覚えていたみなもだが、集中し始めると完全に絵描きの瞳になり下書きを進めていた。

 まりえも既に自分の世界に入っており、智也とみなもは意識の外にあった。話している時は穏やかで親しみやすいまりえの表情も、今は真剣そのもので、プロというものを感じさせる何かがあった。

(このプレッシャー……苦しいぞ)

 そして残された凡人・智也はその二人を横目にしながら孤独に耐えるしかなかった。

 自分もまともに絵が描ければなぁ。つくづくそう思った。

 それからもしばらく智也は、二人の鉛筆がスケッチブックの上を滑る音を聞いているしかなく、思考はいつの間にか違う場所へと飛んでいた。

(……よくよく考えたら、オレはもったいない時間を過ごしているのかもしれないな……)

 もしかしたら、明日にでもみなもは死んでしまうかもしれない。悲しいし、考えたくも無いが、実質そういった不安は拭えないものだった。

(……バカだな、みなもが楽しければそれでいいんだよ)

 どんどん暗くなって、そして自分勝手な考えになっていく心が鬱陶しくなり、智也はスケッチブックから視線を外して頭をかきむしった。すると少し休憩とばかりに丁度顔を上げたまりえが智也の様子に気づいた。

「どうかしたの? 三上君」

「え?」

 智也は突然だったために、自分の心を見透かされたのかと思い心臓を跳ねさせた。しかしそれが偶然だということを瞬時に判断すると自分を落ち着かせて言った。

「何でもないですよ。ちょっと調子が出なくて……」

 智也の言葉は基本的には誤魔化しだが、絵を描けないという点は事実である。その言葉を聞いてまりえは何かを思いついたような表情になり、智也とみなもに休憩することを提案した。

「えーと……そうですね。ちょっと喉も乾いてきました」

「私はまだ描いてます」

 智也はまりえの言葉に頷いたが、みなもはどうやら調子に乗ってきたため鉛筆を止めずに口だけ動かした。智也はそれが少し残念だったが、こうなった時のみなもは外部の影響を受けないという特殊能力がプラスされるということを智也は学習済みだった。

「それじゃみなも、飲み物買ってくるから。いつもの『零リミット』でいいか?」

「はい」

 智也が挙げた飲み物にみなもは聞いているのかいないのか即答した。ちなみに『零リミット』というのは名前から判断するのは難しいが、紅茶の品名である。どこがどう零リミットなのかは永遠の謎とされている上、成分の表記が無いところに一抹の不安があるが、自動販売機の紅茶に嫌悪した智也とみなもの友人、双海詩音もお勧めする美味さであった。ついでに実はシリーズ物である。

「それじゃあまりえさん、行きましょう」

「ええ」

 既に打ち解けたまりえと、智也は並んで公園の自動販売機へと歩き始めた。

「三上君」

 並んで歩いていると、突然まりえが足を止めて智也に話し掛けた。それを見ると、智也も少し不思議に思いながらも足を止めてまりえの方を振り向く。そして智也が振り向いた先にあった顔は、どこか張り詰めたような雰囲気を持っていた。その様子に智也は一瞬額に冷たい物が流れるのを感じたが、それが冷や汗だと気づく前にまりえの顔が一転して笑顔になった。

「可愛い彼女ね、三上君」

「へ?」

 あまりに唐突な上まったく先ほどの表情から予想だにしていなかった言葉に、智也は気が穴の空いた風船のように抜けてしまった。

「あ……いや、はい」

よく言われた言葉の内容を把握していなかったが、とりあえず智也は頷いておいた。

「でも……」

 次の瞬間、笑顔が先ほどの真剣な表情へと戻された。同時に智也にも緊張が走る。

 次にどんな言葉が発せられるのか、それは智也の予想できることではなかった。そしてまりえがゆっくり語りだした時、智也はわずかに悪寒が背中に走るのを感じた。

「彼女……重いでしょ?」

「っ!」

 それだけで智也はまりえが何を言いたいのかを把握した。みなもの病気の事だ。しかし何故まりえがそれに気づいたのか智也はわからなかった。

 パっと見は元気に見えるみなも。そんな彼女からまりえはどうやって察したのだろう。

「……何故わかったんですか?」

 智也は恐る恐るそれを尋ねる。

「というと、やっぱりそうなのね。実は私親が大学病院の医者でね。こういうことは詳しいのよ」

「見た目からわかるんですか?」

「ええ。皮膚の様子とか、まぁ色々とね」

「…………」

 智也はみなもの体が悪いなんて、会った時には想像もしなかった。やはり知識がある人にわかってしまうのだろうか。

「随分と前からなの?」

 まりえは淡々と智也に質問を続ける。

 その時智也は『他人に言ってもいいのだろうか?』という考えが頭に浮かんでいたが、どういう訳か口が動いてしまう。オレはこんなに口が軽い人間だったのか。そう思わずにはいられなかったが、まりえは何故か黙ることを許さない追求の瞳を持っていた。

「もう本当に小さい時かららしいですけど……」

「ふん……それも変な話ね。見たところ白血病か何かかと思ったけど、骨髄移植はまだされていないの?」

「え……あ、はい。その骨髄どうのってのはよくわかりませんが、ドナーが見つかってないんです」

 正確には居た。だが智也はこれをまりえに話す必要はないし、今度こそ智也は話したくなかったので胸の内に留めた。

 それから話された事は別段専門的な話という訳ではなかったが、それでもこういう事にまったく疎い智也の頭に混乱をもたらすには十分だった。応答の際多少呂律の回りが悪くなる。

「白血球型は?」

「……そろそろついていけないんですけど……すみません」

「あ、ごめんなさい。そうよね、普通の高校生に言っても難しいか……」

 それからまりえは何やら考え込むような姿勢で唸り始めた。智也にはまりえが何を考えているかまったく見当がつかなかったが、むしろそのせいもあってか次の言葉を待つ間は妙な緊張で一杯だった。

「……そう、それじゃあ私も検査受けてみようかしら」

「え?」

 突然閃いたように顔を上げたまりえの言葉の意味を、智也はよく把握できなかった。

「それってどういう……?」

「どうって……それは勿論、伊吹さんの移植の為に」

 まりえの言葉に、一瞬の沈黙。そして驚き。

「……ええっ!?」

 以前他のみなもを知る友人達も、進んで検査を受けてくれはいたが、まさか今日知り合ったばかりの人間が言ってくれるとは思ってもみなかった。ましてや、智也は知らないがその世界では有名人だという。智也の感情には驚きと喜びが交錯した。だが、そう簡単に喜べないのも事実だった。

「でも……」

「検査で通るかって?」

 まるで智也の心を見透かしたように言うまりえ。それに対して智也は黙って頷いた。

「そりゃ、赤の他人ですもの。確率は1%もないわよ。でも、0%じゃないのも事実ね。だったらやってみる価値はあると思わない?」

「そうですけど……」

 皆そう言って検査を受けてくれた。だが一人としてそれを通るものがいなかったという辛い事実がある。その事からも、智也は素直に願う事ができなかった。

「もう、そういう優柔不断な事ばっかり言ってると、伊吹さんにフラれちゃうわよ?」

「……そうですね。それじゃあオレからも、みなもからも、お願いできますか?」

 心の和む笑顔で発せられたまりえの言葉は、智也の暗かった部分を少しだけ取り除いた。最近は自分でもわかるくらいに湿っていたので、智也は清々しい気分になった。

「ええ」

 智也の願いに、まりえは優しく笑顔で頷いた。

「あ、でも……なんで今日会ったばかりの他人なんかにそんなことしてくれるんですか?」

 それは純粋な疑問だった。いくら人が良い人間でも、ここまでしてくれるものだろうか。そういう変な所に心配を抱いた智也だったが、まりえは躊躇なく即答した。

「あの子の絵が良いと思ったからよ」

「絵……ですか?」

 まりえの答えに少し納得がいかないのか、怪訝そうに眉をひそめる智也。

「そう。彼女の絵は素敵ね。下書きだけでそれがわかるわ。絶対後世に名を残すような画家になれる。だから、こんなとこで死なせちゃもったいないじゃない?」

「まぁ……確かに」

 その答えには智也も納得したように頷いた。

 智也は絵のことはよくわからないが、みなもの絵は大好きだった。みなもと一緒に展覧会に行ったりした時は、正直展示されている絵よりみなもの絵の方が上手いと思ったくらいだ。それは身内のようなものからくるひいきかと思っていたが、プロが言うのだから本当にそうなのかもしれない。仮に今は本当に上手い訳じゃないとしても、プロがその素質を認めているのだからみなもは本物だろう。そう思うと、智也は少し嬉しくなった。

「あ、そうそうまりえさん。この事はみなもに黙っておいてくれませんか?」

「どうして?」

「たぶんまりえさんが協力してくれる事に対しては大喜びでしょうけど、もしダメだった場合やっぱり辛いと思いますよ。今までもそうでしたし」

 智也に言われて、まりえは納得したように表情を変えた。

「そうね……わかったわ。それじゃあ良い結果が出たら教えるわね」

「はい」

 智也は嬉しそうな笑みを浮かべて返事をした。その様子を見てまりえさんは小さく笑うと、智也に言った。

「それじゃあ……お礼と言ったらなんだけど、今度買い物に付き合ってもらっちゃおうかなー」

「え」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら再び歩き出したまりえの後ろで、智也は凍りつく。みなもという彼女がありながら何かを期待した男・智也は心拍数を段々と上げはじめる。

「画材が色々と壊れてきたり、絵の具もストックが無くなっちゃってね。流石にイーゼルだのなんだのをかよわい女性が一辺に持って帰るのも大変なのよ」

 その智也の様子を察したかのように再び足を止めて智也の方を振り向く。そして智也は悟った。オレで遊んでるし……実は結構良い性格してるのかも。

 それならばとばかりに無理矢理作っていた自分の皮を剥がして、唯笑曰く『いぢわる智ちゃん』の片鱗を見せた。

「かよわい? まりえさんのお友達か何かですか?」

「ちがうわよ。あなた、わかってて言ってるでしょ?」

「バレたか」

「……三上君って、伊吹さんの優しい彼氏みたいに思ったけど、結構良い性格してるのね」

「お互い様」

「ふふっ……そうね。それじゃあやっぱりお願いできるかしら?」

「何を?」

「買い物」

「…………」

 智也の思考はわずかばかり静止する。いや、あれマジだったんすか。

「マヂ?」

「本気と書いてマジと読むってやつね。本当に男の人か何か、力のある人の手が借りたかったのよ。頼める? 三上君」

 そう言われて、智也は少し考える。

(うーん……みなも以外の女の人と出かけるってのも悪い気がするなぁ)

(じゃあみなもに言ってみるか……これはこれで誤解を生みそうな気がする)

「うーんうーん……」

(まぁでも……いいか。みなもの恩人になるかもしれない人だし)

 智也は思考の末やっと割り切り、まりえの希望に頷いた。するとまりえは子供のような無邪気な笑みを浮かべて智也に礼を言った。

(う……)

 その笑顔を智也は率直に可愛いと感じ、ふとみなもに対して申し訳ない気持ちが沸いてきた。しかしそんな事言っていたら人間関係が悪くなるので、とりあえずは流した。

 それから智也は長引いてしまったものの、予定通りみなも用に『零リミット』と自分用に『零センチュリー』(零シリーズ珈琲版)を購入すると、みなものもとへと戻っていった。



第三話へ続く




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