ACROSS THE BIRTHDAY

作:小俣雅史

 

第一話

 

寒い

暗い

怖い

ここは嫌

一人は嫌

だから信じてる

あの人に、本当の笑顔を向けられる

その日を



(1)


「……やさん……ねぇ、智也さんってば!」

「ん?」

 突然大きな声で名前を呼ばれた智也は、ふとどこかへと飛ばしていた意識を先ほどまでチョコパフェを美味しそうに食べていたみなもへと引き戻した。だがいつの間にかそれから嬉しさが消えてみなもの表情は見ていてあまり気持ちのいい顔ではなかった。何かを訝しむような、それでいて寂しそうで不安なような、複雑な表情をしていた。

 みなもの様子を変に思った智也はその事を尋ねてみた。

「どうしたんだ、みなも。そんな怖い顔して」

「…………」

 聞いた智也にみなもは反応せず、黙って不機嫌な表情を浮かべているだけだった。だが原因さえわからない智也はどうしていいかわからなかった。

 気まずい沈黙が、落ち着いた雰囲気の喫茶店内の一部を重苦しい空間へと変貌させる。

 困った智也はしばし俯きながら頭を悩ませるも、その答えはでない。そして二人の間に流れ始めた沈黙の幕を引いたのはみなもの方だった。

「……もしかして、私といても楽しくない……ですか?」

 みなもの声にはっとして顔を上げると、そこには悲しそうな表情で智也を見つめるみなもが居た。

「ち、違うって。それに、それはこっちのセリフだ。みなもはオレなんかと一緒で本当に楽しいのか?」

 彼女の言葉を否定してから逆に智也は言った。先ほどの表情がどうも気になるのだ。

 もしかしたら自分はみなもに無理矢理付き合っているという事実を押し付けて、勝手に連れまわしているだけかもしれない。オレはみなもを世界で一番愛していると断言できる。だが、みなもはどうだろうか。そう考えると智也は少し不安になった。

 だがみなもはその智也の不安を消すように言った。

「……智也さんと同じ……だと嬉しいです。少なくとも私は智也さんといると楽しいし、智也さんがいなければつまらないです!」

 今度はみなもは笑顔を見せてから元気良く弾むように智也に言った。その笑顔には、智也も安心してみなもを見ることができた。やっぱり……オレ達は最高のカップルだな。そんな単純に形容したくはなかったが、智也が思いついた言葉はそれだけだった。

「ねぇ智也さん、さっき元気がないように見えましたけど、何かあったんですか?」

 みなもは先ほどの智也の様子が気になり、前回は智也の耳に届いていなかったことを悟ってもう一度尋ねなおした。すると智也は一瞬今までみなもに見せたことのないような悲痛な表情をしたがすぐにぎこちない笑顔を作って誤魔化した。

「本当に何でもないんだって。だからみなもは気にするな。ちょっとあんまり嬉しくないことがあっただけだから、もう一晩寝れば忘れてるさ」

「……そうですか」

 智也は本当のことを言ってはいない。それはみなももわかったが、追求したところで智也が教えてくれるとは考えにくいのでとりあえずは納得したように振舞った。

(……言える訳、ないよな)

 そのみなもを見て少しだけ安堵のため息をついた智也は、頭の中でそう考えていた。

 それは以前みなもと海へ行き金色の海を二人で見て、その後の事だった。みなもは奇跡的に一命を取り留めたが、それでもまだドナーが現れない限り危険なことに変わりはなく、次に発作が起こればみなもは確実に死ぬということを智也は医者に告げられた。それでも今こうしてみなもとデートをしているのは、余命わずかの人生を少しでも幸せにしようという周囲の心遣いだった。

 だがみなもはともかく、一緒にいる智也の気分はあまり楽しいものではなかった。

 できるなら永遠にみなもと一緒にいたいけど、今は一緒にいると辛い。そういった矛盾している感情が智也の気力を奪っていた。

「さ、それじゃあ行くか」

「はいっ!」

 智也はみなものチョコパフェがカラになっているのを確認すると、暗い雰囲気を振り払うように元気よく席を立ち上がって勘定を済ませると、みなもと同じスケッチブックを小脇に抱え、並んで澄空駅の近くにある大きな公園へと向かった。

「智也さんっ! 早く早くっ!」

 公園につくなりみなもは周囲をキョロキョロと見渡し、しばらく智也もそれにならっていると突然、みなもは良い場所を見つけたのか、元気良く駆け出していった。そして駆けている最中に後ろを振り返って智也を急かした。

 それに智也は小さく苦笑したが、次の瞬間あまり笑っていられない事態が起こった。

「あ、おいみなもっ! 前っ!」

 みなもが正面から歩いてい来る女性にぶつかろうとしていた。智也の方を向いていたため前方に注意がいかなかったのだ。

「へ? あ、きゃっ!」

「痛っ!」

 みなもは智也に言われて前を向くも、時既に遅し。前から歩いてきた女性に見事なタックルを喰らわせてしまった。それと同時にみなもの持っていたスケッチブックは手放されて飛んでいき、さらに転倒。女性の方も持っていた鞄をどこかへ投げ出してしまった。

「大丈夫かっ」

 智也はそれを見てみなものところへと駆けよりどこも怪我をしていないことを確認すると、尻餅をついて腰の辺りをさすっている眼鏡をかけたセミロングの髪の女性に手を差し伸べた。

「すみません、大丈夫でしたか?」

「ごめんなさい、私が前を見てなかったから……」

 みなもは智也に続いて謝罪の言葉を述べる。

「いたた……あ、すみません」

 その女性は智也を見ると、素直に差し出された手を握る。智也はしっかりその女性の細く透き通るように白い肌の腕を握ると、それを引っ張って女性が立つのを助けた。 立ち上がると女性は軽くロングスカートの尻の部分をぽんぽんとはたき、みなもの方に向き直った。

「ごめんなさいね、ぶつかっちゃって」

 女性は申し訳なさそうな表情でみなもに頭を下げた。

「あ、そ、そんな……頭下げないでください。私が悪いんですから」

「そんなことはないわ。私が考え事をしていて周りを良くみていなかったからいけないの」

「違います。私が前を向いて歩かなかったから……」

 二人の間で自分が悪いという謙虚合戦が始まった。どちらも何度も頭を下げて自分の非をアピールするという、ちょっと変わった光景である。

 それには智也もどうしていいかわからなかったが、この不毛な議論を続けるのはよくないと思い、とりあえず二人の間に割って入った。

「まあまあ二人とも……お互い謝ってる訳ですからそんなことしなくてもいいでしょう?」

 智也がそう言うと二人は同時に智也の方を向いて、何か驚いたような表情をした。しかしそれは矛先が智也に向けられる予兆だった。

「それじゃあ納得いきません!」

「自分が悪いのに、他人のせいになんてできないわ」

 二人は智也に向き直って、怒ったように言葉を浴びせた。それに対して智也は言い訳など特に考えてもいなかったが、何か言わなきゃという意識からつい咄嗟に言葉を発してしまった。

「それじゃあオレが悪いということで終わりにしませんか?」

「へ?」

「はい?」

 言った後、智也は猛烈に後悔した。オレは何訳のわからないことを言ってんだよ……。一気に耳まで熱くなるのを感じた智也は途端に居た堪れなくなった。穴があったら入りたい状態である。

「……ぷっ」

 しばらく呆然とした表情のまま静止していた二人だったが、やがてみなもがその均衡を破った。笑い出すという形で。続いて女性も笑い出してしまい、智也の恥ずかしゲージは臨界点を突破した。

 一旦吹きだすと笑いは止まらない。みなもと女性は顔を見合わせて、声をあげて笑い続けた。その間智也は死にそうだったが、それでもどうやら事が収まったということだけはわかって軽く安堵のため息をついた。

「あはは……面白いわね。もしかして、あなたの彼氏?」

 笑いっぱなしだった時の笑顔をはりつけたまま女性はみなもに言った。するとみなもは破顔を落ち着かせて笑い声を飲み込み、急に頬を赤く染めた。

「えと……あの、その……」

「そうです」

 狼狽するみなもを見て、智也はやっと自分が参入できると思い、恥ずかしがっているのを悟られないようにできるだけ感情の篭っていない口調で肯定した。

「ふふっ……お似合いね。あ、そうそうバッグは……」

 女性は小さく微笑むと、みなもとぶつかった際に落としたバッグを探して辺りを見回した。それに反応するように智也とみなももバッグを探して周囲を見渡す。

「えーと……あ、ありました」

 それは丁度みなもの真後ろに落ちていて、見つけたみなもはやや重さを感じる大きめのバッグを拾い上げて女性に見つけた事を告げると、振り向いた女性に手渡した。

「ありがとう。えーと……」

「みなもです、伊吹みなも」

 みなもは女性が何を言いたいのかを察すると、自己紹介をした。

「伊吹みなもかぁ……可愛い名前ね」

 女性は親しみやすい笑みを浮かべてみなもに言う。それに少し照れたような笑いを浮かべるみなもを別にして、智也は少しバッグの中身が気になっていた。ただのバッグではあるがちょっと変わった造りになっていて、バッグというよりは何かを入れるケースに思えた。

「あの、別に答えてもらわなくても全然いいんですけど、そのバッグって何が入ってるんですか?」

 気になりだすと止まらない。智也は二人の会話が途切れるのを見計らって尋ねた。すると女性は嫌な顔や躊躇う様子も無く、流れるように返事をした。

「あぁ、絵の具だとか、筆だとか、絵を描く為の道具が入ってるのよ……って、あら? 君ももしかして絵を描くの?」

 女性は智也が小脇にスケッチブックを抱えているのを見て、少し驚いたような表情をして言った。その二人のやりとりを見て、みなもは落としたスケッチブックを拾い上げて自分も絵を描くということをアピールした。

「オレ自身あまり描く訳じゃないんですけど、みなもが大好きなんですよ」

「そうなんです」

 みなものアピールを見て智也はそれを助ける。すると女性は嬉しそうに頷いた。だが、みなもはその顔を見て何やら怪訝そうな表情に転じる。智也は何かと思ってみなもを見つめるが、それを変えることはない。女性も不思議に思い、それを尋ねようとした瞬間だった。

「あー!!」

 みなもが突然大きな声をあげる。それに智也と女性は驚いて、一歩後ずさった。

「もしかしてもしかして……片桐まりえ先生ですか!?」

「え?」

 もの凄く驚いて、それこそ有名人にでもあったかのように言うみなも。先生って……教育実習か何かで知り合ったのか? いや、それにしてはまだオレ達とそう変わらないように見えるが……。

 智也がみなもの言動に脳みそを使っていると、女性は何故か少し嬉しそうに言った。

「先生だなんて……でも、私の事を知ってくれてるのね」

「知ってるも何も、超有名人じゃないですか!!」

「え?」

 超有名人。その言葉に智也は思考を中断して片桐まりえとみなもが言った女性に視線を向ける。だが、智也は別に何も感じなかったし、記憶にも無かった。

「超有名人って……別にそんなことないわよ。仮に有名だとしても、水彩画の世界だけ程度でしょうし」

「うぅ……そうかもしれませんけど、でも、私先生の大ファンなんです!!」

(……What?)

 智也は状況についていけてなかったが、やがてなんとなくこの片桐まりえという女性は絵の世界では有名な画家のようだ。ということだけは会話から判断できた。

 が、それから二人は智也のついていけない世界に入り込んでしまった。

 絵の話など智也にはまったくわからず、一人寂しくその様子を見ているしかなかった。みなも……寒いよ。

 冬の風が少年の身に沁みた。




第二話へ続く





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