暑いッスね、師匠

作:小俣雅史

 

第二話

 

「智也さーん、早くー」

「健さんもですよー」

 その二人はいつの間にかキャンバス立て、スケッチブックを開いて描く準備をしていた。

 二人揃って手を振りながらオレ達を急かす。

 遠くから見たその二人の仕草が少し可愛かったので思わず苦笑してしまったが、オレと健はそれを押し殺して二人のところへ歩いた。


 オレ達がたどり着く頃には、既に二人はスケッチブックに鉛筆を走らせていた。

 シャッシャっという鉛筆が滑る音がなんとなく小気味よい。

 聞き比べて見るとわかるが、下書きでもややみなもの方が力強い気がする。

 シャープな実線にも関わらず、仕上がりは柔らかい感じがするのがみなもの絵の特徴だ。

 試しに相摩さんの方も覗かせてもらう。

 こちらはみなもとは逆で、柔らかい線だが、見渡してみると不思議な躍動感がある。

 二人とも下書きでここまで見せられるのだから、オレ達との次元の違いが窺える。

 軽い敗北感を覚えながら、オレはみなもの左隣、健は相摩さんの右隣に腰を降ろした。

 丁度男二人が女の子を挟む形になっている。


「始めるか……」

 オレは誰に言うでもなく呟いてスケッチブックを開いた。

 最初のページに以前みなもとスケッチに行った時の、凄惨な光景が映っている。

 なんだか見苦しさと虚しさが一片に押し寄せてきたので、オレは最初のページを破りとってポケットに突っ込んだ。

 出鼻をいきなりくじかれたような気分だが、とりあえずオレは鉛筆で白き世界を黒く染める。

 ザッ、ザッ…………。

 まるで畳を爪で引っ掻いてるような音が白い世界の上でのたうちまわる。

「…………うぐぅ」

 オレは一言呟くと、鉛筆をおいて周囲に視線を回した。

 最初に映った先では、みなもや相摩さんはともかく、健までもがスケッチブックに軽快に鉛筆を走らせていた。

 健に微妙な敗北感を感じたので、どんな出来かとりあえず見てみることにする。

 気づかれないように、後ろからそうっとスケッチブックを覗き込んだ。

「…………」

 オレは挫折感を覚えながら自分の座っていた場所に戻った。

 それからオレはとりあえず描き上げようという気持ちで、鉛筆を動かす。

 こんな絵をみたら、高尚な美術画を見てきたみなもの眼は腐るだろう。

 きっと、健のやつには相手の体を腐らせるなんて、わからん苦労だろうな……。


「智也さん?」

 いきなり、みなもがオレの顔を下から覗き込んだ。

「え? どうかした?」

 みなもは何やら疑問があるような口調だったが、オレには何に対してか良くわからなかったので逆に聞き返してしまった。

「どうかしたって……手、止まってますけど、どうかしたんですか?」

 指摘されて、オレの手がいつの間にか止まっていたことに気づいた。

 だが別にオレは異常もないのでなんでもないよと言おうとした。

「……指が……動かないんだ……」

 しかし、オレの体がそれを許さなかった。

 溜まった不満というかなんというかが体に出る。

 いわゆるボケというヤツだ。

 だが……みなもの場合は……。

「ぼくの指はこんなにも動く!」

 すると突然、健は手を前に突き出して指を動かした。

 ……ま、いいか。

「え、無視?」

 健は不満そうにそう言った。

「智也さん、大丈夫ですか!?」

 やはり健を無視するように、みなもは心配そうにオレの手を握った。

 そしてオレの指をまじまじと見つめる。

 案の定、みなもは真に受けてしまったようだ……。

「…………おお、みなもに握られたおかげで完治したぞ」

 仕方なくオレは自分でもワザとらしいと自覚できる演技力を駆使して、精一杯の回避手段を取った。

 それに対して、みなもはまだ不安そうな顔をしていたが、オレが指を動かしてみると笑顔に戻った。

「良かったぁ」

 ……素直すぎるぞ、みなも。

 不意に抱擁したい衝動が込み上げてきたのだが、相摩さんや健もいることだし、ここは堪えておく。



第三話へ続く




第一話へ戻る       小説のトップへ戻る