雨と思い出と……

作:小俣雅史

 

第五話

 

ザー……  

勢いよく病院から飛び出してみれば、外はいつの間にか大雨になっていた。智也は一瞬だけ飛び出すのを躊躇ったが、どの道止みそうな気配が無い上、傘も持っていないために走ることを選んだ。 

雨の中に飛び出した智也は、少し寒さに身震いしつつも唯笑の家へと駆けた。 

周囲の音は自分の心臓の鼓動と雨音にかき消され、周りの様子を把握するのは困難であった。だが、しばらく走ってから信号につかまってしまい、仕方なく智也は足を止めた。疲れのためにすぐに足を止められずに少しだけ動いて、信号の傍にある電柱にもたれかかる。

(……なんか、嫌な予感がするな) 

ふと真っ黒の空を見上げた智也は、なんとも言えない不快感に襲われた。智也がこの雨の世界から感じる嫌な予感とは、やはり交通事故しか思い当らず、不安になった智也は信号に対して苛立ちはじめた。 

しばらくして、信号が変わったのを見た智也は先程よりペースを上げて駆け出した。というのも目的地と目的が少し変わったからだ。先の予感で、万が一ということもありえる。胸に不快感を覚え、嫌な記憶を思い出しながら、智也はあの交差点へ向けて走った。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」 

智也は途中で殆ど息が切れ、酸欠からくる頭痛までも症状としてでていたが、それでも気にせず智也は走った。頭の中に浮かんでいる唯笑のことだけしか智也は考えておらず、それが気力となって辛い体を突き動かしているのだろう。 

それからどれだけ走っただろうか。もはや智也にはそんなことを考える気力はなく、さらには交差点が見えるまで唯笑のことさえ考えられなかった。 

智也は交差点が見える所までたどり着いて足を止めた。すると同時に眩暈や頭痛が押し寄せ、体のバランスを失って智也は雨の中に倒れ込んだ。耐えがたい吐き気がして、智也はその場で蹲る。

(う……ゆ……唯笑……) 

それでも思考が戻れば考えることは唯笑のことだった。動かない体を引きずって智也は交差点を目指す。制服がドロドロになり全身がズブ濡れになっているが、そんなことは当然気にしない。それほどまで智也は唯笑のことを想っていた。 

しばらく周りから見れば不気味に思えるほふく前進を続けていた智也だったが、頭痛が少し軽くなったのを見て智也は立ち上がった。やはり強烈な立ちくらみが智也を襲ったが、それでもまだなんとか持ち堪えられる範囲だったので、智也は交差点まで駆けた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」 

智也は限界まで体力を使い果たしたひきかえに、交差点の全てが見渡せる位置にたどり着いた。すぐさま視線をあちこちに彷徨わせて、唯笑の姿を探した。いないことを願って。だが唯笑は居た。交差点の真ん中で、どしゃ降りの雨の中傘もささずに佇んでいた。

「っ!! っ!!」 

智也は必死にその名を呼ぼうとしたが、上手く声が出せない。そのため、もうボロボロの体を突き動かして唯笑のもとへ走った。たどり着くまで何度も倒れそうになったが、その都度気力を振り絞って耐え、なんとか唯笑の肩に手が届く範囲までたどり着いた。

「……!? 智ちゃん!?」 

その荒い息に気がついたのか、智也の方を唯笑は振り向いた。そしてその智也の風貌を見て驚いたような顔をする。

「はぁ、はぁ、はぁ」 

しかし、智也は何も言えなかった。言いたいことは山ほどある。だが残された体力が無かったのだ。そしてその様子を見た唯笑は、智也に対してゆっくりと語り出した。今まで見たことの無い驚く程冷めた、人形のような瞳で。

「智ちゃん……私、思ったんだよ。彩ちゃんは、いつも智ちゃんに想ってもらえてて、羨ましい……私も智ちゃんのそんな人になりたい、けどなれなかった!」 

急に唯笑は語調を強め、悲しい瞳をしながら言葉を紡ぎだす。智也はその唯笑をどうしていいかわからず、ただ見つめたままだった。

「どうしたら智ちゃんにいつまでも想ってもらえるんだろう……私はそう考えた。そしたら、出た結論はこうだった……そう、私も死ねばいい」

「っ!!」 

唯笑の突然の言葉に、智也は動揺した。このまま放っておけば、唯笑は確実に死を選ぶ。智也はそれを確信し、唯笑を自分の腕に抱きとめようとした。だが、意思とは裏腹に、智也の体はまったく動かなかった。それほどまでに自分の体を酷使してしまっていたのだ。なんの考えなしに走っていた自分が急に恨めしくなる。

「だから、私は死ぬよ! 今この場で! この、彩ちゃんが遠くへ行ってしまった場所で!」 

唯笑がそう叫んだ瞬間、タイミング悪くすぐ近くに大きな影が映った。それをトラックだと確認した智也は、唯笑を必死に助けようとする。だが声も、体も、全てが凍りつき、智也は心まで壊れそうだった。 

その様子を見て智也が動けないことを悟ったのか、唯笑は智也の体を安全圏内まで突き飛ばした。智也は倒れたまま動けず、できること言えば涙を流すことくらいだった。 

唯笑はトラックがここを通ることを確信し、しゃがんでできるだけドライバーの視界から消えるようにした。そうすれば、確実に自分の命を奪ってくれる。智也の記憶に留めてくれる。そう信じて。 

智也は必死に体を動かそうとした。だが凍りついた体は動かない。そうしてる間にもトラックは唯笑に近づく。

(唯笑……唯笑……死ぬなよ、オレは、お前が好きなんだよ……このまま何もいえないなんて……嫌だ、絶対嫌だ……唯笑……)

「……唯笑えええええっ!!!」 

声がでた。同時に氷のようだった体が嘘だったかのように動き出す。それは智也の唯笑に対する想いの奇跡か。それともただ単に体が回復しただけか。そんなことはどうでもいい。とにかく智也は走った。唯笑のもとへ必死に駆けた。

「来ないでっ!」 

智也が自分の方へ走ってくるのを見つけた唯笑は、智也を制止しようとする。だがそんなことを智也が聞くわけがない。横に突っ込んでくるトラックに対して自分の身を気にせずに唯笑を勢いのまま突き飛ばした。 

そして智也が唯笑を突き飛ばした先を見る余裕もなく、トラックが智也の方へ突っ込んだ。 

一瞬の閃光と、鈍痛が智也の感覚を支配する。激しい衝撃で殆ど事態がわからなくなり、智也はただ『唯笑を助けた』という意識だけを持って宙に舞った。 

その肢体は弱々しく鈍い空の下を舞い、トラックが通り過ぎてしまった後、雨の叩きつける地面の下へと…………落ちた。 

トラックの運転手は人を轢いたことに気づかなかったのか、それとも故意の轢き逃げか、そのまま行ってしまった。

「…………」 

唯笑はその様子を茫然と見ていた。目の前になにか変な物が転がっている。その物からは真っ赤な液体がドロドロと流れ出し、否応なしに唯笑の視線を釘付けにする。なんだろう、あれは。 

なんだろう……あれは…………と……も、ちゃん? 

ドォォォン……  

雷が落ちた。激しい落雷の音が周囲に響き、その音が唯笑の意識を正しい現実へと引き戻す。

「ともちゃ……ん。智ちゃん……いや……やだ……やだよぉ……こんなの……こんなのないよぉ……智ちゃああんっ!!」 

唯笑は智也がトラックに轢かれたという事実を認識し、智也のもとへ走った。そして微動だにしない智也の手をしっかり握り締め、その名を必死に呼びつづけた。

「智ちゃん!! 智ちゃん!! ごめんなさい、唯笑がバカだったよぉ!! だから、だから返事してよぉ!!」 

唯笑は必死にその名を叫ぶ。最愛の人、世界で一番、なにより大切な人。その人の名を必死に呼ぶ。だがいくら呼んでも返事はなく、唯笑の心は悲しみで溢れ、大粒の涙が際限なく溢れ出てきた。

「……ゆ……え」

「智ちゃん!?」 

しばらくして、智也の反応があった。わずかに動いた唇から、自分の名が呼ばれたことに唯笑は気づいて必死に訴えかける。

「ごめんなさい、ごめんなさい!! 唯笑何度でも謝るよ、だから、だから死なないでえ! 智ちゃん!」 

手の平を握った手により力を込めて、うっすらとその瞳を開けた智也に呼びかける。それを聞いているのかいないのか、とにかく智也は呟いた。

「唯笑……愛……して……る……」 

ドォォォン……  

再び雷が落ちた。  

次の瞬間、唯笑の手から智也の手が力無くすり抜けた。冷たかった手が、もっと冷たいアスファルトの濡れた地面に崩れ落ちる。唯笑が視線を顔に戻すと、その瞳は固く閉ざされていた。

「…………いやあああああああっ!!!!」 

激しく叩きつける雨は、少女の悲鳴さえもかき消してしまった。



エピローグへ続く




第四話へ戻る       小説のトップへ戻る