雨と思い出と……

作:小俣雅史

 

第四話

 

それから、智也と唯笑は口を聞かなかった。当然二人揃っての登下校などしてはいないし、顔を突き合わせることもなかった。 

その様子を不審に思った生徒や、二人の会話を聞いていた生徒からは破局の噂が流れ始め、それは瞬くまに校内に広がっていった。『名物カップルついに破局!?』。そう銘打たれて。 

それでも智也は実際不快に思うことはなかった。自分のしたことを考えれば当然のことであるし、もはや唯笑と復縁しようという気さえなかった。しかし、同時に彩花のことも考えられなくなったのも事実だった。あれから彩香の病室へは一度も足を運んでいないし、仮に行ったとしても気まずくなるのは必至だった。それをわかっていた智也は、本当に何もせず、ただ無意味に時間を浪費していた。 

しかし、このままの状態を続けていれば本当にダメになってしまうことを自覚していた智也は、とりあえず今坂唯笑という少女も桧月彩花という少女も忘れて、『彩香』に会いに行くことにした。何か解決策がないかと思いながら、あの日助けた少女のもとへ。 

学校の帰り、澄空駅周辺にある花屋に足を運びお見舞い用の花を購入して、そのまま病院へと足を向ける。ろくに意識も無いまま、足が記憶している病院へと智也はただ流されていった。 

病院の中に入ると、途端に病院独特の消毒液の匂いが鼻につく。智也はこの匂いをあまり好きではなかったが、今の智也にそんなことを意識する余裕もなく、ハタから見れば不気味な程速い歩調で病室へ向かった。 

病室の入り口に智也は到着すると、とりあえず長谷川彩香の名前を確認してから病室を覗いた。すると、智也が以前お見舞いに買ってきた文庫本を体を起こして読んでいる姿が目に入った。いつもならここで彩花を思い浮かべてしまう智也だったが、今回は特に何も感じない。それに気づいた時、智也はちゃんと彩香に会いに来ているということを確信した。 

病室に足を踏み入れて、智也は彩香のベッドの傍に置いてあるパイプイスを立ててベッドの横に座った。 

しかし、彩香はその様子に全く気づいていない。完全に本の世界に入り込んでいるということが窺える。

「彩香ちゃん」

「え?」

 智也が声をかけると、彩香は驚いたように智也の方を振り返った。その表情はまさに目を丸くした状態で、不思議なものでも見ているようだった。

「あ、三上さん、いつの間に来てたんですか?」 

やがて意識を目の前の少年に向けることができた彩香は、智也が来たということを認識した。

「うーん、結構前」

「そ、そんなに? じゃ、じゃあもしかして私、ずっと本読んでて気がつかなかったんですか?」

「だろうね」

「えう! と……隣に居る人に気づかないなんて……あ、それより三上さん、こんにちわ」

「こんにちわ。まぁ見てわかる通りお見舞いに来たよ」 

智也はそう言って、片手に持っていた小さな花束を彩香に差し出した。

「あ、ありがとうございます」 

彩香は嬉しそうな笑顔を智也に見せ、文庫本をベッドの脇に置いてあるカバンにしまってからその花束を受け取った。

「…………」 

彩香は貰った花束を抱えたまま、急に黙り込んで智也の瞳を見つめた。智也は何事かと思ってたずねようとしたが、それより早く彩香は口を開いた。

「なんか、こういうのってプロポーズみたいですよね」

「はぁ?」 

突然の彩香の言葉に、智也は脳のてっぺんから声を発した。

「ほら、こういう花束って、よく白いタキシード着た人がプロポーズするとき持ってるじゃないですか」 

彩香はそんなことを表情一つ変えずに不自然な程淡々と語りだした。

「そりゃドラマの見過ぎだよ彩香ちゃん。それに、君が結婚なんてまだ早い」

「そんなことないですよぉ。あ、でも私まだ15歳だから、法律じゃあ無理かあ……」 

そう言った瞬間、彩香は始めて残念そうに表情を変える。

「そういう問題でもないんだが。彩香ちゃんみたいな人を今嫁に貰ったら、男の方は苦労するぞ?」  

「あ、三上さん酷い!」

「はははは」 

予想通りの彩香の反応に、智也はつい声に出して笑った。しかしそれが今の自分からしてみれば、いかに滑稽な様子かを次の彩香の言葉で悟る。

「あれ? なんだか、今日の三上さんって、元気ですよね?」

「え?」

「ほら、なんかいつも、お見舞いに来てくれるのは正直嬉しかったんですけど、どこか暗いっていうか……そう、心ここに在らず。どこか遠くを見ているような眼をしてましたよ?」 

智也は彩香の言葉でドキリとした。やっぱり……オレって隠し事ができないタイプなんだろうか。つくづくそう思ってしまった。

「でも、今日はなんていうか、ちゃんと私の眼を見て話してくれてます」 

……そうか、オレはちゃんとこの子と話してるんだな。そう思いながら智也は二人の少女の顔を思い浮かべた。

「あ、その顔です。いつもそんな顔してました。それが普通なのかと思ってたんですが、ちゃんと元気で普通な顔できるんですから、それは悩み事のある顔です」 

再び智也はドキリとした。この子……鋭い。智也は彩香の顔を見ながら思った。

「今、鋭いとか思いましたね?」

「……正解」

「やったあ。でも、三上さんって心の中わかり易すぎですよ」

「うぐっ……」

「まぁ言っちゃえば、隠し事できないタイプですね」

「ぐはっ!」 

智也は痛いところを突かれて、少し大げさにアクションした。

「……ふぅ、三上さん。そんなことして誤魔化そうとしてますけど、やっぱり悩みは深刻そうですね」 

彩香は智也の様子を見て、呆れたように言った。 

不意に真剣な表情になった彩香に、智也も少し身を固くする。

「……わかるかい?」

「ええ、ばっちり」

「…………」 

今現在智也が抱えている悩み。それは唯笑と彩花についてだ。今でこそ彩香を彩香として見ていられるが、先日まで彩花として彼女を見ていた。しかし、今でも彩花の事を完全に拭い去って彼女と話している訳ではない。唯笑と決別してしまったショックで、一時的に想いが意識の底に沈んでいるだけである。同等に唯笑に関しても、本当に離別したい訳では決してなく、できるならば恋人とまで行かずとも、今までのような関係は保ちたい。そう願っているはずなのだが、絶望の淵に立たされている智也は、二人のことを真剣に考えられなかった。 

だが、智也は無理矢理その感情を引き出し、この彩香という少女にぶつける決心をした。このままではいけないし、それに今頼れるのは彼女だけ。その結果、智也は彼女に相談することを選んだ。

「……聞いて、くれるかな? オレの悩み」

「ええ勿論。本当は、もっと早く打ち明けてくれた方が良かったですけど」

「はは、ごめん……じゃ、話すよ」 

そう言う彩香に苦笑しつつも、何故か智也はこの少女が頼もしく思えた。 

智也は一度俯いて病室の床に視線を落とし、何度か考えるような素振りを見せた後、ゆっくりと顔をあげて語りだした。

「仮に、こんな男が居たとする」

「え? ……あ、はい」 

智也の口にした言葉に一瞬疑問を感じたが、すぐにその意味を悟って彩香は続きを促す。

「その男は、昔、最愛の彼女を失った……それも、別れたとかじゃなく、愛し合っていたのに、彼女は突然交通事故で死んでしまった」

「…………」

「男はそのショックで殆ど口も聞けなくなり、ただ家に閉じこもって茫然としているだけだった。だけど、そんな男に世話焼いて、なんとか立ち直らせてくれた女性が居た。そして結局男はその女性と付き合った」

「だがしかし、とあるキッカケで男は死んだ彼女のことを思い出し、そのことばかり考えるようになってしまった。そして、そんなうやむやを続けていた男は、ある日付き合っていた女性を一方的に突き放し、別れてしまった」

「そして、そのことを男はとても後悔し、今も男は絶望の崖っぷちに立たされている……という話なんだが、その男はどうしたらいいと思う?」 

智也は話したいこと、話すべきことをすべて話し終え、その回答を彩香に求めた。その彩香は智也の質問に対して、しばらく考えるような仕草を見せた後突然閃いたように表情を明るくし、弾むように言った。

「そんなの簡単簡単♪ 深く考えるからいけないんですよ」

「え?」 

智也はあまりにも単純な彩香の答えに、つい拍子抜けしてしまった。もともと中学三年の少女に高度な答えを期待していた訳ではなかったが、それでもこんな適当に返されると驚いてしまう、というのが智也の感覚だった。

「え? じゃないですよ。自覚してませんね……あ、自覚してないから勘違いっていうのか」

「勘違い?」 

彩香の言葉に、智也は軽い怒りを覚えたため、語調が少し荒かったが、それでも気にしないで彩香は続けた。

「もしそうだったら私の答えは間違ってることになりますけど、その別れた女の人って、死んだ女のことなんて忘れろー、なんて言いました?」

「……言ってない」 

唯笑はそんなこと言うのはおろか、考える人間でさえないだろう。智也はそれを知っているので素直に断言した。

「やっぱり。じゃあ問題はないですよ。両方好きでいればいいじゃないですか」

「両方好きって……そんな」

「だって両方好きなんでしょ? 昔の彼女を忘れる必要なんてこれっぽっちもないし、付き合っていた女の人だって本当は好きだけど、自分がわからなくなったから突き放しちゃったんですよね。お互い好きなのに別れるのは変です。だから、いっそ割り切ってくださいよ」

「割り切る?」

「そう、割り切る。オレは優柔不断な男だー。だからあっちの子もこっちの子も好きなんだ。仕方ないだろーって」

「……それって最低な男じゃないか?」

「何言ってるんですか三上さん。それでいいんですよ。自分をそんな凄い人間だと思ってました?」

「それは……まぁ、酷い奴だとは思わないが……」

「だから良いんですよ、お互いのこと好きでいて。二人を平等に好きでいれば、文句はでないでしょ? それに昔の彼女には頑張っても会えないんだから、せめて心の中で想って、目の前にいる彼女も大切にすればいいんです」

「…………」 

そういう風に割り切って考える。智也にはいままでそんなことができなかった。どっちが好きなんだろうか。そんなことばかり考えて、前へ進もうと結局はしていなかったことを彩香に気づかされた。しかし一度頭をすっきりさせてから考えると、その手もあったんだろう、と智也は思えはじめていた。そうだ……オレは唯笑も彩花も同じくらい好きなんだ。片方を選ぶなんてできる訳がない。だったら両方好きでいればいい。勝手な考えかもしれないが、唯笑だって彩花だって、こういうことを望んでいるのかもしれない。これでいいのだ。

「そうだよ……なにも一つだけ選ばなきゃいけない理由は無いんだよな」 

それに気づいた瞬間、智也の心の中に再び二人の女性、唯笑と彩花の笑顔が浮かんできた。どんよりと雲がかかっていた心は青く澄み渡り、智也の瞳にも活力が戻っていた。

「あ、三上さん良い表情してますね。それです、それで良いんですよ!」 

智也の考えを後押しするように彩香は言う。智也はそれが嬉しかった。同時に感謝をした。大切なことに気づかせてくれた彩香に、智也は心から感謝した。

「ありがとう、彩香ちゃん……オレ、行ってくるっ!!」 

智也は彩香に礼を言うと慌しくパイプイスを片づけて、病室から飛び出していった。彩香はその軽くなった後姿を笑顔で見送っていた。

(良かった三上さん元気になって……でも、惜しいなぁ。私もケッコー好きだったんだけどね) 

彩香は自分でそう思うと、急に恥ずかしくなってベッドの布団を頭からすっぽりと被った。

(……頑張れ、三上智也)



第五話へ続く




第四話へ戻る       小説のトップへ戻る