雨と思い出と……

作:小俣雅史

 

第三話

 

それが智也の揺らぎの始まりだった。 

長谷川彩香と名乗った少女は、何かの因果か、別れた後も智也と何度も顔を合わせる機会があった。  

唯笑の友人であり、智也の友人でもある伊吹みなもの見舞いに智也が行った時、何気なく目に入った病室のベッドに、彩香が寝ていたのだ。それを見た智也は、みなものことを忘れて彼女の病室へ入っていった。 

彼女は彩花じゃない。ただ似ているだけで彩花ではないし、それにオレには唯笑がいる。 

それからはいくら言い聞かせて自分の体はいつも彼女の元へと向かっていた。 

そして最近に至っては、考えることまでもが全て彼女、長谷川彩香のことになっていた。 

彩香は中学生だが、明朗な性格な上人懐こく、一人の女性としても魅力的ではあったが、やはり智也はただ単に彼女に彩花の影を見ているだけだった。 

このままではいけない。 

そんなことは誰に指摘されるまでもなく智也は既にわかっていたことだったが、どうにもならないのもまた事実だった。 

唯笑に直接相談できる訳もないし、居なくなってからその存在感を痛感した、信という相談相手も連絡がつかない。   

唯一できることと言えば、唯笑だけには悟られないよう振舞うだけだった。それでも無視という手段しか持たなかった智也には隠し通せる訳もなく、やがてその変化に唯笑は気づいてしまった。

「智ちゃん、最近変だよ?」 

放課後、一人で帰ろうとしていた智也を唯笑がなんとかつかまえることに成功し、揃って下校していた。智也の変化に気づいた唯笑は、その原因を確かめようと必死に後をつけまわしていた努力の成果とも言える。 

唯笑は智也のことが心配でたまらないのだ。

「……オレが変?」 

智也は隠していたふりをしていたつもりだったが、感ずかれてしまったことに動揺を隠せず、少し怒気を帯びたような口調になっていた。 

その智也に唯笑は一瞬言葉を詰まらせるも、何も知らないのは嫌だった唯笑は思い切って言った。

「うん……なんていうか……悲しそうな、辛そうな……酷い顔しているよ」

「っ!?」 

智也はその言葉を聞いて心臓が跳ね上がるような思いだった。やはりオレは隠し事をできないのか、それともこれは本当に重大なことなのか……。そんなやりきれない思いが胸の中を渦巻き始めていた。

「ねぇ、何か困ったことがあるなら言ってよ……唯笑、これでも智ちゃんの恋人なんだよ? 唯笑は何かあったら智ちゃんを頼るよ。だから、智ちゃんも少しは唯笑に……」 

その言葉に、智也は段々と怒りを覚え始めた。 

本当は自分に対する怒りであるはずのこの感情が、他人に干渉されることにより、その矛先を変えようとしているのだ。そしてそれは唯笑の哀れみにも似た言葉に智也の心的劣等感からくる怒りとなって一気に溢れ出してしまった。

「やめてくれよ」 

唯笑の言葉を遮って発せられた智也の声。それは冷たく、まるで唯笑を突き放すかのような口調だった。さらにその言葉の意味を唯笑は瞬時に悟り、背中に冷たいものを感じた。

「やめて……って?」 

いつになく険しい表情となっている智也に、唯笑は恐る恐る尋ねた。しかしその冷たい瞳を見た瞬間心拍数が段々と上がりはじめ、すぐに智也から視線を外した。

「つきまとうのだよ!!」 

突然、智也は普段出さないような大きな声、しかも怒気をはらんだ声で叫んだ。それを聞いて同じく下校中の生徒が二人の方を振り返る。

「心配心配って、そんなオレが情けない男に見えるか? いや、確かに情けないさ、こんな情けない男他にはいないよ。だけど、今オレが悩んでることはオレ自身で解決する。でなきゃ意味が無いし、それにお前が関わったら困るんだよ!! 今はお前が邪魔なんだよっ!!」

「っ!?」 

智也は言い放った後、唯笑の表情が一瞬にして凍りつくのを見た。その唯笑の様子を見て一気に罪悪感と虚脱感が込み上げる。唯笑は悪くない、悪いのは自分勝手なオレなんだ。 

オレは……なんてことを……。

「……そう……だね。唯笑は、邪魔だよね……ごめんなさい、今まで気づかなくて……唯笑は……唯笑は……」

「ご、ごめん、ついカっとなって……」

「違うよ」 

唯笑は智也の言葉を冷たく、即座に否定した。 

今度は先程まで体を小刻みに震わせていた唯笑の瞳に冷たい炎が宿る。それを見て、今度は智也の背筋に恐怖に似た悪寒が走った。

「智ちゃんは……怒ったからって、唯笑をあんな言い方で邪魔なんて言ったりしない……それは、智ちゃんの本音なんだよ」

「それは違うっ!」

「違わないよ!! 本当は、本当は、智ちゃんはやっぱり彩ちゃんのことだけが好きなんだよ!!」

「ッ……なんで、そこで彩花の名前がでてくるんだよ!!」 

「だってそうだよぉ! 智ちゃん、いつも教室でぼーっとしてて、でもどこか楽しそうで……あれは、あれは彩ちゃんを見てた時の瞳だよぉ!!」

「…………」 

唯笑は自分に、それと智也に、ただ胸の中でくすぶっていた疑念が一気に溢れ出し、智也の怒りをきっかけに全て口から出てしまった。 

本当は自分が智也に何もしてやれないことが悔しくて、でも何もさせてくれない智也が恨めしくて。そんな感情を、唯笑は爆発させてしまった。 

智也は反論できなかった。いや、反論する気持ちさえ既に失われていた。隠していたつもりが唯笑に全てを見透かされていた自分が心底情けなくなった。そして、唯笑に対する気持ちまでもが、急激に冷めていくのを感じた。

「……さようなら」 

唯笑は一言そう呟くと、智也に背を向けて走り去っていった。 

それからしばらく智也はその場に立ち尽くしていた。周りが何か自分に対してひそひそと何か言っているのが断片的に聞こえてはいたが、内容は把握しきれなかった。しばらくして、智也は日が傾き始めた頃にその場から歩き出した。 



第四話へ続く




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