選択

作:小俣雅史

 

第三話

 

 冷たいアスファルトの地面を眺めながら、オレは歩みを続ける。

 頭の中がぼやけていて、著しく現実感が損なわれている。

 オレはアスファルトの先に何を視ているのか。

 寂しげに佇む家に。

 取り残されたように歌う木々に。

 雲に覆われつづけている空に。

 オレは、何を見出そうとしているのか。

 それだけを考えていて、足はオレを何処へと運ぶ。

 
 流されることだけがオレを保っている。


 ふと顔を見上げれば、そこはオレの家だった。

 幼い頃から住み慣れている家が、妙によそよそしく感じる。

 一歩踏み出して、ドアを開けば誰がいるのだろう。

 オレは、そのドアの向こうに何を期待しているのだろう。

 誰の笑顔が、そこにあって欲しいのか。

 誰がオレを迎えて欲しいのか。

「……わかってるよ」

 オレは誰ともなしに呟くと、ドアノブを軽く捻った。



 ベッドの上に寝転がっていても、眠気も特に感じない。

 あれから学校へは一度も行っていないので、睡眠は十分にとっている。

 そのせいだろう。

 今ある現実から目を背けたくて、オレは闇の中へと身を投じていた。

 それがいかに『逃げ』の行為であるかはわかっているはずだった。

 逃げていては何もならない。

 それは彩花を失って、十分に承知しているはずだった。

 しかし、オレは再びその穴へと落ちてしまった。

 いや、飛び込んでしまったのだ。

 結局、最後まで傷つくのが怖いのだ。

 オレは、自分がいかに腐った人間であるかを確認してしまった。

 また嫌になる。

 現実が。

 この体が。

 この心が。

 ありとあらゆるもの全てが。

 何もかもが、オレという存在を否定する。


 瞼を閉じても、何も変わらない。


「……また寝てるの? 智ちゃん」

 ふと、聞き覚えのある声がオレの名を呼んだ。

 オレはゆっくりと首を動かし、視線をその方向に向ける。

「あ、起きてたの?」

「……あぁ」

 唯笑だった。

 まぁ、勝手にオレの部屋へ上がりこめる人間は彼女ぐらいだ。

 それだけ近くにいる存在……でも、違う。

「今、みなもちゃんの病院行ってきたよ」

「……」

 オレは応えない。

 応える気がない。

 しかし、唯笑はそんなオレを無視するように続ける。

「でも……やっぱり意識は戻らなくて……」

 段々と、その声が悲しげな音を紡ぎだしていく。

「やっぱり。やっぱり智ちゃんが行ってあげないと……だめ……なんだよ」

 最後の方の言葉はよく聞き取れなかった。

 いや、聞きたくなかった。

 オレは特定の言葉を知覚したくなかった。

   視線を天井に向けて、極力意識にそれを入れないよう努める。

「ねぇ……智ちゃん……」

 だらりと力もなくベッドから垂らしていたオレの手を、唯笑が握った。

 しかしそれは、あまりにも弱く、こっちが支えなければ彼女さえも崩れそうだった。

「……唯笑……オレは、誰を見ていればいいんだろうな」

 口から出たのは、そんな言葉だった。

 意識する訳でもなく、ただ、ふっと風が発生するように。

 ごく自然に流れ出た、心の声だった。

「……唯笑を、見て欲しいよ……本当は。だけど、智ちゃんは……智ちゃんは……」

 言葉の最後は、既に嗚咽だった。



第四話へ続く




第二話へ戻る       小説のトップへ戻る