あれから

作:小俣雅史

 

第一話

 

「せんぱぁい……ねえ、先輩」

 何やら暗い闇の向こうでオレを呼ぶ声がする……気がする。それは妙に聞き覚えのある声で、どうやら眠っているらしいオレの頭の中でもその声の主の顔は容易に想像できた。無意味に元気で無意味に明るく能天気極まりない少女……だがオレの彼女でもある少女、小高真央だ。

 だが用件の想像がつかないし、オレの部屋から真央の声が聞こえるはずもない。何より体がまだだるいという事実がオレが眠りから覚めるのを拒んでいた。

 オレはとりあえず夢だと割り切って開かれんとしていた瞼に力を込めた。

「先輩、もう、先輩ったらあ!!」

 

 ドガッ!!

 

「ほぐあ!?」

 不意にその声が大きく怒気をはらんだものへと変わり背筋に何か心地よくないものが走るのを感じると、オレの額に激痛が走った。たまらずオレは瞳をこじ開けベッドから飛びあがった。

「あ、椎名先輩。おはようございます♪」

 俺が額をさすりながらうっすらと涙を浮かべている横から先程から聞こえていた声が届く。反射的にそちらを振り向くと、案の定真央が嬉しそうな笑顔でこちらの様子を伺っていた。そしてその手には俺の額を殴ったのに使用したであろうラクロスのクロス(スティック)が握られていた。

「『おはようございます♪』じゃない!!」

 俺は真央に対してこみ上げてきた怒りを露にしてみせる。

「それじゃあ、こんにちわ」

 しかしオレの怒っている様子を意に介そうともせず真央ちんスマイルのまま言葉を変える。当然オレの中で沸騰している怒りは余計煽られてしまった。

「ちっがーう!! おはようでもこんにちわでもこんばんわでもなぁぁぁいっ!! いきなり寝ている人間をそんな凶器で殴りつけるやつがあるかあっ!!」

 俺は肩で息をしながらありったけの声量で真央に抗議の叫びをぶつけた。流石にその様子には真央も驚いたような申し訳無いような表情を見せていた。

「こ、これは凶器じゃないですよ」

 だがやはり最後まで真央はオレの憤怒について感じるところがなかったようだ。

「人の命を脅かした瞬間もうそれは箸だろうが丸めた新聞紙だろうが立派な凶器なんだっ!!」

「あははは……でも先輩だって悪いですよ?」

「なにがだよ」

「だって、今日何の日か覚えてます?」

「…………」

 

 突然眉間にしわを寄せて怒ったような口調の真央の言葉を受け、オレはまだ怒気を身に残しながらもあれこれ記憶を過去に辿らせていった。そしてオレは5秒と考えるまもなく一つの答えに辿りついた。

「ごめんなさい、すっかり忘れてました」

 真実を知った瞬間オレの威勢と怒気はあっさり消滅し、代わりに恐縮してまだひりひりする額を気遣いながらその場で土下座し床に頭をつけた。

「やっぱり……もし私が来なかったら、試合、どうなっていたと思うんですか?」

「そりゃもう……って、え? 別にラクロスの試合にはオレは全然関係ないんじゃないか?」

 オレは頭をあげて、腰に手を添えながらぷんすかといったような真央の顔を疑問の表情で見つめた。真央の言った言葉の意味がよくわからない。別に真央がオレを起こしに来ようがこまいが試合は行われる訳だし、それに出場する真央のプレイにだって影響はないはずだ。あるとすれば真央がオレを起こしに来た事で彼女にムダな体力を使わせてしまった事だけだ。

 

 しばらく動かずにいると、きっと間抜け面をしていたであろうオレの顔を真央はねめつけて言った。

「んもう! 本当先輩は女の子の気持ちに鈍いんですから。そんなんじゃ嫌いになっちゃいますよ?」

 は?、といいたい気持ちを抑えてオレは考える。

 何でオレがそんなよくわからない事で真央に糾弾されなきゃならないんだ。そう思うとなんだか理不尽な気がしてきた。

「そうか。じゃあな真央、それなりに今まで楽しかったぞ」

「わーわーわー! 冗談ですってばあ!」

 軽く冷たい事を言ってみると、真央は慌てて自分の発言をフォローした。

「オレも冗談だよ……そんな困った顔するな」

「うぅ〜……先輩のいぢわるぅ」

「まあオレの意地が悪いかどうかはともかくとして、忘れてたのは間違いなくオレが悪い。今後はこういうこと無いように気をつけるから、今日は勘弁してくれないか?」

 真央の不満げな瞳をしっかりと見据えてオレが言うと

「まぁ……そういうんなら別にいいんですけどね」

 一瞬落ち込んだような表情をしたが、すぐに顔をいつもの見ているだけで心が和むような笑顔に戻った。それを見てオレは満足すると、不意に部屋の壁に掛けてある時計が視界に飛びこんできた。

「……真央」

「なんですか? 先輩」

「試合の時間って……確か、10時じゃなかったか?」

 現在9時45分という時刻をしっかりと刻み秒針も正常に動いている時計を凝視しながら、自分の記憶の底から引き出した情報とそれを照らし合わせてみる。

「…………!」

 真央はオレの言葉の意味を理解できない様子のまま、オレの視線を追って時計に目をやる。すると真央の表情は一気に青ざめていく。

「……ち、遅刻ですかあ!?」

 突然青い顔のまま叫んだ真央。

「遅刻ですよお!?」

 無意味かつ無意識的に真央の言葉をそのまま肯定して焦るオレ。当然のように真央も焦っているらしく、あたふたと混乱しているようでその場で足踏みをしている。

「ま、真央! とりあえずオレは準備したら速攻で行くから、お前は先に行ってろ!!」

「わ、わかりましたっ!! それじゃお先にぃ!!」

 真央は慌しくクロスを持ったまま部屋を飛び出そうとする。

「だあー!! 待て真央っ!! お前防具忘れてるぞ!?」

 真央が持ってきたであろう大きな袋を防具だと、真央がゴーリー(ゴールキーパー)であることから察知し叫んでそれを知らせる。

「わわっ!」

 オレの言葉に真央は部屋から少し出たところで180度反転してオレの部屋まで駆け戻り、大きな防具袋を引っつかんで肩に背負うと再び部屋の外へと飛び出していった。それからすぐに玄関のドアが破壊されんばかりの勢いで開け放たれる音を耳にしながら、オレも急いで着替えを始めた。

(あー……これで遅れたらきっとオレも初音さんに説教されるんだろうなあ……)

 そんな事に頭を悩ませながらもズボンとTシャツに着替えて、洗面所で適当に寝癖をクシで撫でつけると、花梨がいなくなってから一応自分でしていた朝食作りを無視して、ドアを開け放ち鍵を急いで閉めて、ラキシスに一声かけると試合会場へと足を急がせた。

 

第二話へ続く





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