燕の舞う空は快晴なり
作:小俣雅史
前編
「……イナケンよ。相変わらず苦しんでおるのぉ」
突然、どこからか翔太とは違う声がぼくの名を発した。
いや、正確にはぼく名ではなくアダ名だが、ぼくをこう呼ぶ人間は一人しかいない。
「あ、あんた」
「よお翔太。久し振り」
ぼくはその声の主の方へ振り向いた。
そこいたのはやはりぼくの知っている人、稲穂信だった。
「信くん」
「信くん、じゃないっての。最近お前がこのクソ忙しい時期にバイトに来ないから様子見に来たぞ」
「あぁ……ごめん」
「ごめんですめば休養はいらない。それより、お前また何か悩んでるみたいだな。顔に表れまくってるぞ」
「え? そう?」
ぼくはつい反射的に顔に手を当てて確かめてしまった。
わかるはずもないのに。
「そうなんだよ。健のヤツ家にも居なくてな、絶対変だ」
「ふむふむ……さて、ここで天下の信様の推理力を駆使して当ててみせよう……それはズバリ、南さんのことだあっ!!」
信くんは人差し指でぼくの方を指しながら、半ば叫ぶように言った。
その信くんに対して翔太はうんうんと頷いている。
だがぼくは別に隠してるつもりも隠すつもりもなかったので、信くんの名推理とやらに驚くことはなかった。
「…………」
ぼくは信くんの反応をそのまま流して、再び草の上に寝転がる。
そしてふぁさっという草を踏む音を耳にしながら目を閉じた。
「おいイナケン。あまりにも図星だったからってすねるなよ」
「すねてませんよ……で、それがどうかしたんですか?」
ぼくは信くんの言葉に少しムッとしながらも、会話を続けることを選んだ。
「折角暇だから、今日は俺がイナケンの相談に乗ってやろうと思ってな」
「はぁ……」
「なんだその不安そうな目は! 別に金は取りゃしないから、安心しろよ」
安心しろ、かぁ……。
そうだよなぁ。
このままずっとぼーっとして先生が来るのを待つのも先生に失礼か……。
まぁ、信くんならきっとなんとかしてくれるかもしれない。
どうにも他力本願な気がするけど、ここは頼れる人には頼っておこう……。
「それじゃあ……お願いします」
「よしきた。任せとけ」
ぼくがそう言うと、信くんは満足げに頷きながら胸をどんと叩いた。
なんかやることが古臭い気もするけど……そこも信くんのいいところだろう。
「それなら安心だな。じゃあ健、俺は先に帰ってるから、夕飯までには帰ってこいよ」
そう言って、翔太は軽く手を振りながら小走り気味に駆けていった。
ぼくはその後ろ姿を目で追って見送る。
視界から消えたのを確認すると、ぼくは手で勢いをつけて器械体操のマット運動のように立ち上がった。
「っしょっと……」
「さて、イナケン。一体何が不安なんだ?」
信くんはぼくが立ち上がったのを確認すると、ぼくが信くんを振り向く間もなく言った。
そしてぼくは、体を信くんに向けてから、今の胸中を告白した。
今、ぼくは何を心配に思っているか。
それはどういう不安か。
ぼくが一つ言うたびに、信くんは聞いているんだか聞いていないんだかわからないような方向に視線を向けてながらも、とりあえず頷く。
言葉を繋ぐのに苦労しながらも、とりあえずぼくは信くんに話すべきことは全て話した。
言い終わると、なんだか少し張り詰めていた何かがふと緩んだ気がした。
「……アホタレェ! アホタレェ! お前は完全無欠のアホタレだぞ!? 脳に塩素系漂白剤を注入して漬け置き洗いしろ!! 三日三晩は寝かせろ!!」
「えっ?」
突然信くんが怒ったように、しかもよく意味のわからない言葉を叫んだ。
その様子にどう反応していいかわからず、ぼくは一瞬困惑してしまった。
いや……普通に怒ってるのか?
アホって言ってるし……。
「お前なぁ、南先生をなんだと思ってるんだ。不安だあ? それこそ先生を信じてない他でもない証拠だろ。お前はその程度で先生を待ってるつもりだったのか?」
え……。
「ぼくが……先生を信じてない?」
「ああ、誰が見ても明らかだぞ。まぁ、イナケンがそれでも良いって言うなら俺は構わんが、とりあえずアホと言っておこう。ま、俺が言える事はこのくらいだ。後は自分でなんとかしろ」
「え? あ、ちょっと、信くん!」
「俺はまだバイト残ってんだ、んじゃなっ!」
信くんは、さっき怒った時のような表情を一変させて笑顔になると、草むらの上を滑るように走っていった。
信くんの通り過ぎた後に踏みしめられた草が、不意に吹いた風で周りの草と同様揺れなびく。
ぼくは鼻腔を刺激するレモンの香りを意識の外にして、信くんが見えなくなっても茫然と立ち尽くしていた。
「……信じてない……か」
それからしばらくして、ぼくはぽつりと呟いた。
なんだか反論できなかった自分が無性に情けなくなって、そのまま草の上に背中から倒れ込む。
ドサっという音と同時に根付いていない草がふわっと舞って、ぼくはその葉を目で追った。
だが、その先には何かある訳でもなく、見えるとすれば、それは記憶に残る朝凪荘の姿だった。
(……信くんの言うとおりだな……。ぼくはドアホだ)
(だけど……そうだよな、心配することなんてあるものか。先生を信じなきゃダメじゃないか……よしっ)
ぼくは思考を切り替えるために、両頬をパシっと叩くと、先ほどの信くんの時と同様にして立ち上がった。
そして、澄み渡っている空気とレモンの香りを、胸一杯に吸い込み、それを声と同時にはきだした。
「せんせー!! 待ってますからねー!!」
突き抜けるような青空に向かって、ぼくは大声を張り上げた。
それはどこか遠くにいる先生への願いとメッセージであり、自分に宛てた決意でもあった。
それからぼくはすっきりした気持ちを象徴したような軽い足取りで、自分の家(翔太の家)に駆け出した。
ぼくの通り過ぎた後を、まだやまない風が吹き付けて、青々とした草木を揺らしていた。
−END−
−執筆者あとがき−
とりえあず書いてみた、健くんがつばめさん来襲(?)までの心情。
あんまり出来はよくないですね。
とりとめのない文章とでも言いましょうか。
まぁ作っちまったもんはしょうがない。
ちなみに、これ実は二部に分けた話にしようかと考えてます。
これが第一部で、二部はまたいつか時間があれば。
年末辺りには書くかな?
さて、これからクリスマスへ向けて執筆開始します。
頑張っていこう。
であであ
(2001年12月20日)
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