相摩希望

作:小俣雅史

 

第一話

 

健「あ、店長。おはようございます!」

店長「ん? ああ、元気だね」

今まで抱えていた大半の問題が解決して、爽快な気分だった。

まだ実際に片づけなければならないことは多かったけど、それはもう、ほとんど問題ない。

希ちゃんが、時間通りにバイトに来た。

目が少し赤い――涙を流したあとだ。

あんなことがあったんだから、それも当たり前か。

それにしても……。

なんだか目があわせづらい。

あんなストレートな告白を盗み聞きしてしまった後だととくに意識してしまう。

希「……おはようございます」

健「あ……うん、おはよう」

まだ感情の整理がついていないのかもしれない。

今日一日くらい、それでかまわないだろう。


そんなことを考えながら、30分くらい過ぎた頃だろうか。

だいぶこの仕事も慣れてくると、ずいぶんと周りを見る余裕が出てくる。

とその時。

お皿の割れる音が店内に響き渡った。

その方向には希ちゃんの姿がある。

希「踏切の……音がする……」

その言葉に触発されたかのように頭に耳障りな踏切の音が響いた。

健「えっ? どうしたの?」

割れた皿を片づけようともせず、希ちゃんは突然外に飛び出して行った。

バイトの制服を着たままで、そのまま入り口から走って出ていく。

健「店長!?」

奥から店長がやってきて、ぼくや周りのみんなに事情を聞こうとしているけど、誰ひとりとして、状況を把握している人はいなかった。

でも……踏切の音?

確かにそう言っていた。

不意に、以前昼間にやっていたドラマのワンシーンが脳裏をかすめる。

健「店長、とにかくぼく、追ってみますね」

店長「あ、ああ。まあ今日は特別客が多いわけじゃないが」

健「すいません、どうしても気になるんで」

なんだかイヤな予感がする。

耳障りな踏切の音が頭の中に反芻し、胸の中に吐き捨てたくなるような気持ちの悪い塊がぼくを不快にさせている。

気のせいであってほしいとは思うが、どう考えてもバイト中に制服のまま外に走り出していくのはおかしい。

なにかがあるのは確かだろう。

健「すいません、じゃあ、失礼します!」

制服をとりあえず控え室に投げ込んで、ぼくも外に飛び出した。


希ちゃん、どこに行ったんだろう?

手がかりは、さっきの言葉――踏切の音。

(確か、桜峰総合病院に行く途中の道に踏切があったと思うけど……)

考えるまでもなく、その位置は無意識的に足にインプットされていたようで、ぼくは既にその踏切に向かって動き出していた。

希ちゃんに追いつくために、全速力で走り続けた。

警報機の音が、だんだんと近づいてくる。

元サッカー部だけあって走るのだけは得意だ。

もうすぐ……そこの角を曲がった所に踏切が……!?

耳につく、不愉快な音がこだまする中で、ぼくは今視覚が捉えている光景を正しく認識することができなかった。

踏み切りを挟んで対峙した二人が、遮断機を越えて線路のほうに向かおうとしている。

向こうからは、虚ろな表情を浮かべた、なにかに憑りつかれたような歩みが。

そしてこちらからは、緊迫とためらいの狭間で、重く張り詰めた背中が。

収束する一点に……向かおうとしている。

まるで、その光景はひとつの体から離れてしまった二つの心が、邂逅の時を迎えているかのようだった。

だが、ぼくの不快さは、そんな幻想的な空間を思わせてはくれない。

(望ちゃん……どうして……ここに!?)

目の端にはもう重量感のある金属の塊が映っていた。

手前にいる制服姿の希ちゃんまで十数メートル。

ぼくは走り出した。

たかがこれだけの距離なのに足が思うように動かない。

大気に、粘りつくような抵抗を感じる。

警報機の音が相変わらず耳に障る。

静止したような時の中で、ただぼくはひたすらに走った。

映画のフィルムが途切れたように、過去の映像が消えていく。

記憶がはじけて、ぼくの意識を不正確な流れへと飛ばす。



 

第二話・三話へ続く





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